判例時報2292号(平成28年6月21日号)について,順番にまとめていきます。
なお,著作権に配慮し,まとめるのは主に判例・裁判例の内容についてのみです。また,井垣孝之が興味を持ったものだけをピックアップするので,判例時報に掲載されているすべての判例・裁判例を紹介するとは限りません。
タイトル冒頭の◎は最高裁の判例,●は高裁裁判例,○は地裁裁判例です。
刑事医療事故訴訟〔1〕──鑑定・事故調査制度の実態・問題・展望──
全部で第4弾まである特集の第1弾です。刑事医療事故訴訟で問題となる医師の過失や因果関係に焦点をあて,鑑定や医療事故調査の問題点を解説し,あるべき姿を提唱することが目的の企画です。
第1弾では鑑定医師及び弁護人の基調論文,第2弾から第4弾までは3つの無罪判決を題材としています。
基調論文1 医療事故における司法解剖、裁判から見えたもの……吉田謙一
東大法医学教室の教授による基調論文。歯科インプラント手術中の出血がもとで死亡したインプラント事件で司法解剖・鑑定・証言した経験を元に,鑑定の活用方法について書いておられます。
インプラント事件において,第一審は業務上過失を認め,禁錮2年(執行猶予付き)としました。しかし,弁護人は鑑定人の主張する「オトガイ下動脈損傷による窒息死」ではなく,心肺蘇生後に担当した医師による「止血ミスによる出血性ショック」と主張して争いました。
第1審(東京地判平成25年3月4日)の争点は,診療当時の医療水準において,オトガイ下動脈損傷を予見・回避できたか否か。第1審の認定は,次のとおりです。
本件のインプラント手術は,ドリルで下顎小臼歯部付近の舌側の硬い骨を内側に突出するように穴を開けて,インプラント体を挿入していた。当時の教科書・文献によれば,口腔底の血管走行の詳細については判明しておらず,侵襲は危険と考えられていた。被告人の主張するように,小臼歯付近の舌側穿孔であれば安全と理解されていたとは認められない。本件のような方法は一般的ではなく,その危険性について十分に調査すべきであったのに,これを怠った。
控訴審の争点は,死因が窒息か出血性ショックか。弁護人側は,死因は総合病院で進行した出血が原因であり,因果関係も過失もないと主張。
控訴審判決(東京高判平成26年12月26日)は,原判決の認定を支持しました。被告人は上告しています。
吉田氏は,画像診断による誤診(解剖により判明)の割合が15~41%というデータを紹介し,出血に関連した医療事故においては損傷の確認が必須であり,司法解剖においては専門医の立会を求めるべきでると述べています。また,裁判では診療当時の医療水準をもとに過失の有無が判断されますが,特に先進医療においては文献ではなく実務経験の豊富な専門家に具体的な意見を聞くこと,裁判所は検察官や弁護士の推薦する鑑定人以外の,学術団体等の第三者が推薦する複数の鑑定人を選任すべきことを提言されています。
日本では2015年10月から改正医療法に基づく医療事故調査制度が試行されており,今後対応が必要となるとのことです。
基調論文2 刑事医療事故訴訟と鑑定・医療事故調査制度……安福謙二
大野病院事件の弁護人による論考です。
大野病院事件とは,帝王切開中,胎盤を剥離中に癒着胎盤とわかったのに無理に剥離したことによって大量出血させ,死亡させたとして執刀医が逮捕され,起訴されたけれども,その後無罪となり,それにとどまらず産科医の死亡者を激減させて産科医療を崩壊させた有名な事件です。
安福氏は,過去の他の無罪事件の紹介をした上で,始まったばかりの医療事故調査委員会制度は,医師を納得を得ることはできず,司法が医療システムを崩壊させてしまうと述べています。
空家をめぐる法的問題──第四回 空家対策特別措置法における『特定空家等の認定』について──……森田敬介
2015年2月26日に施行された空家特別措置法の紹介と,「特定空家等」をどうやって認定するかの論考です。
「特定空家等」の認定基準は,①起訴や屋根,外壁などに老朽化など構造耐力的な問題があり危険があるもの,②ごみの放置・臭気発生などで衛生上有害なもの,③適切な管理が行われておらず,著しく景観を損なうもの,④その他周辺の生活環境の保全のために放置することが不適切なものというものです。各基準を認定するためのガイドラインがあります。
しかし,②から④についてはかなり感覚的な基準であるため,どのように認定するかが重要ですので,点数方式による総合評価制が望ましいのではないかと述べられています。
現代型取引をめぐる裁判例(398)……升田 純
教育・保育施設等の取引をめぐる裁判例の紹介です。主に学校における事故について,まず最判昭和56年7月16日(当時3歳7か月の子どもがフェンスを乗り越えてプールに入り,転落して死亡した事件)を中心に紹介しています。この事件は市の営造物責任の成否が問題となったものですが,最高裁はプールには営造物として通常有すべき安全性を欠いていたとして営造物責任を肯定しています。他にも保母が熱湯の入ったバケツを運んでいる際に子どもとぶつかってやけどをさせた事件(盛岡地一関支部判昭和56年11月19日,請求認容)などが紹介されています。
◆判決録細目◆
行 政
●入れ墨の有無等を尋ねる調査に回答することを義務付ける大阪市交通局長の職務命令が憲法13条、21条、大阪市個人情報保護条例に違反しないとされた事例(大阪高判平27年10月15日)
【概要】
本件は,刺青の有無の調査を拒否したことに起因する戒告処分に対し,取消し及び国賠請求を求めたものです。
原審(大阪地判平成26年12月17日)は戒告処分が違法であるとして取消しを認容し,国賠請求を棄却しました。ところが,控訴審はいずれについても棄却しました。
井垣コメント
原審も控訴審も,刺青調査は憲法13条及び21条に違反しないとしました。原審は大阪市個人情報保護条例違反を認定したのに対し,控訴審は同条例にも違反しない(同条例6条2項「その他社会的差別の原因となるおそれがあると認められる事項に関する個人情報」にあたらない)としています。差別情報の意義についての規範の理解が結論を分けたといえます。
民 事
◎国立大学法人において作成され,所持する文書の民訴法220条4号ニの自己利用文書該当性及び同号ロの公務秘密文書該当性(最一決平25年12月19日)
概要
本件は,国立大学法人Yの教授が学部長からハラスメントを受けたとしてY大学に苦情申し立てしたところ,大学の設置したハラスメント調査委員会等の調査方法が不当だったために,Y大学に再調査の実施,損害賠償の支払い等を求めたものです。原告は,調査方法の不当性を立証するために,委員会の調査報告書等を提出するよう求め,民訴法220条4号の除外事由のいずれにもあたらないとして文書提出命令の申立命令をしました。これに対し,Y大学は同号ニの自己利用文書または同号ロの公務秘密文書に該当するとして文書提出義務を否定しました。
原決定は,本件各文書の自己利用文書該当性は否定し,一部については公務秘密文書該当性を肯定して,残りについては開示するよう命令しました。これに対する許可抗告を申し立てて許可されたのが本件です。
最高裁は,いずれについても原審と同じ判断をして,抗告を棄却しています。なお,同号ニについては,国立大学法人の自己利用文書の場合は民訴法220条4号ニ括弧書き部分が類推適用されること,国立大学法人の役員及び職員が同号ロにいう「公務員」に含まれるとも判示しています。
井垣コメント
どうでもいいですが,ロースクール在学中,民事訴訟法の教授が「文書提出命令の条文は夫婦丸出し(220)で覚えるんだよね」と言っており,鮮明に記憶に残っております。
○事業者が収集、管理、有料提供する医療機関に関する情報の一部を無断でデータベースに組み込み、無料で公開したことにつき、不法行為が否定された事例(東京地判平27年2月13日)
概要
本件は,一般に公開されているデータベース(Xデータベース)をクローリングして自らのデータベース(Yデータベース)に組み込み,営業活動上の利益を侵害したとして不法行為に基づく損害賠償をした事件です。判決では,原告がXデータベースが著作権法上の著作物にあたるとは主張しておらず,弁論の全趣旨からしても著作物にはあたらないとしています。ただし,著作物にあたらなくとも,「情報及びデータベースの内容及び性質,行為の態様及び目的,権利侵害の程度等に照らして,著しく不公正な方法で他人の権利を侵害したと評価できる場合に限り,不法行為を構成する」と判示しています。
井垣コメント
原告はなぜ著作権侵害を主張しなかったんでしょうか。認められないと考えていたのかもしれませんが,不法行為の方が筋としては厳しいと思うんですけどね。
クローリングで情報を収集するサービスは山のようにあるので,参考になりますね。
商 事
○休眠会社を使って経営の悪化した会社の標章を続用するなどし、同会社と同様の事業を行った会社につき、事業譲渡を認め、会社法22条1項の類推適用を肯定した事例(東京地判平27年10月2日)
概要
本件は,みずほ銀行が内装工事の設計監理等を業とするA社(デザインワークスプロジェクト)に貸し付けていたところ,A社の経営が悪化したので,Aの取締役Dが休眠会社Yの名前を株式会社DWP」とした上で,定款の目的を同一のものとし,一部の従業員や顧客を引き継いだというものです。要は借金逃れのために法人を乗り換えたら,銀行に追いかけられて結局お金を返せないといけなくなったということです。
裁判例は,「組織化され有機的一体として機能する財産を譲渡」したと判示し,事業の譲渡を行ったと認定しました。また,A社の商号は「デザインワークスプロジェクト」であり,Y社の商号は「株式会社DWP」なので,会社法22条1項の「商号を引き続き使用」には直接は当たりませんが,同条の趣旨は「営業の譲受会社が譲渡会社の商号を続用する場合には,従前の営業上の債権者は,営業主体の交替を認識することが一般に困難であることから,譲受会社のそのような外観を信頼した債権者を保護するためである」とした上で,本件はA社が従前用いていた商号の略称である「DWP」を使っており,その名称はA社の営業主体を表すものとして浸透していること,Yはそのブランド力を使っていることから,営業主体がそのまま存続しているという外観を作出したとして,会社法22条1項の類推適用を認めました。
井垣コメント
弁護士が入っていれば,まずここまであからさまなことはやらないだろうなあというケースだと思います。どれくらいの売上と規模と経営状況の会社だったのかよくわかりませんが,会社更生を検討するケースかもしれません。
刑 事
●JR西日本福知山線の脱線事故について、同社の歴代代表取締役社長であった被告人三名の刑事上の過失を否定した原判決の判断が是認された事例(大阪高判平27年3月27日)
概要
平成17年4月25日に,JR福知山線が脱線して106名の乗客が死亡し,493名の乗客が負傷した事件の刑事事件です。当初は不起訴となったため,検察審査会の起訴議決を経て,第一審は無罪,そして控訴審も無罪としました。おおまかな争点としては,本件事故の予見可能性の判断手法と,予見可能性の事実認定です。第一審も控訴審も具体的な予見可能性があったとは認められない(運転士の異常な運転を予見することは社会通念上相当困難)としています。
井垣コメント
多数の死傷者を出した悲惨な事件で,強い国民感情はあるけれども,経営者個人の刑事上の責任について認めるのは難しいという例ですね。